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2008年5月13日(火)

  • エココラム

ガソリン狂想曲とコミュニティ

4月30日。消費者は「安い」ガソリンの駆け込み給油に走った。暫定税率失効からわずか1カ月。租税特別措置法改正案が30日、衆院で再可決され、ガソリン税などの暫定税率が復活した。どうやら車社会と政治は無関係ではないようである。これだけ車社会になると、車を前提に社会が構築されていく。郊外型ショッピングモールなどまさにその典型で、便利であり、生活も豊かになったように感じる。ただ、アメリカじゃあるまいし日本というこの狭い国土で生活するのに、そんなに車が必要なのだろうかと一方では思う。確かに商用車は必要かもしれない。商品を早く届けるとか、人を早く運ぶとか。仕事を早く進めるとか。よって、ここで考えてみたいのは必要以上に「自家用車」を使っていないかということである。 筆者がこの世に生を受けてわずか50年だが、記憶に間違いなければ、小学校の頃には自家用車はなかった。大分市内でも幹線道路以外は舗装もされていなかった。でも、生活に困るようなことはなかった。買い物は歩いて行けるお店で必要なものは調達できたし、たまにデパートへウキウキしながら行ったものである。そう、サザエさんの世界と同じかも知れない。遊びも近くの広場で十分遊べたし、30分以上かけて遠征?もしたものである。子供心に、あまり自家用車に対する執着心はなかったように思う。要するに、あまり車を必要としなかった社会だった。言い換えれば、適当な大きさのコミュニティが形成されていた。と思える。 そうすると何が大分を変えたのか。人口の増加?確かに、大分市の人口は増えている。そうなると、地価の高い市街地よりも、人々は郊外へ移動する。宅地造成も郊外で始まる。必然的に郊外型ショッピングモールができたりする。コミュニティと言うよりは、ある意味、観光地あるいはアミューズメントパークのようになっている。そうなると、別の地域から自家用車で人々がやってくる。やっぱり、それって何かが違うように思うのだ。郊外にコミュニティができるのなら、ある一定の範囲でムラを形成し、その中で必要なものが手に入るしくみはできないか。それも、車を使わずにすむ範囲で。筆者が住む団地には以前、ショッピングセンターがあったが、団地住民の減少や高齢化もあいまって撤退してしまった。1件あった医院もなくなった。経営の大切さはわかる。より多くの利益が見込める店へシフトしていくことも理解できる。しかし、そのおかげで、団地住民は食料の調達や通院に自家用車が必要になる。他方、これだけ高齢化が進むと、車を運転できない高齢者は孤立することになる。否、現実に孤立している。やはり、今一度、政治や行政が真剣になってコミュニティのあり方を考える時期にきていないか。これがうまくいけば、環境問題など一気に解決するとはずだ。更に犯罪も減る。また、みんなが公共交通機関をもっと見直したら、健康にも環境にもいい社会が再構築できる。そう、信じて疑わない。
(O.F 2008.5.13)